人がなにかを恋い慕うのには段階がある、という話を聞いたことがある。幼いころには人形や小動物を、すこし大きくなると性を伴わない形で同性にあこがれ、成熟した大人は異性を求める、と。それが成熟に応じて変化するものかはともかく、何かにひかれる、ということはさまざまなあり方で起こっていることなのだろう。 この小説の主人公フランキーがひかれる対象は「兄の結婚式」である。「顔のところで何かが光っていて、表情が見えない」花婿と花嫁の姿と、結婚式の行われる「ウィンターヒル」の静かな冬のイメージとに、彼女は心奪われる。「結婚式が終わったら、二人について行ってしまうの」「二人はあたしのあたしたちなの」。誰とも遊ばず淋しい夏の日々を送る彼女にとって、結婚式に出席し“参加する”ことは新しい生の始まりである筈だった。 彼女の言うことは勿論一人よがりで荒唐無稽なものだ。彼女がいくら夢見ても、結婚式は結婚式でしかない。また、多くの場合人は好きになった相手を気遣ったり身体の交わりを望んだりして相手を自分の現実に結びつけようとするが、ここにはそうした願望は一切ない。しかし、「ふいに目の隅に映った」通りすがりの二人連れに兄と兄嫁の姿を“見た”フランキーの心のふるえは、恋をする人の幸福感として理解できるものだ。そして、彼女ほど極端な形ではないにしても、相手との現実的な交流を考えずにただ「連れていってほしい」と願うような仕方で何かにひかれ憧れることはあるのではないだろうか。 小説は結婚式に「裏切られた」フランキーが、新しくできた友人の来訪を告げる玄関のベルの音に胸躍らせる場面で終わる。しかしこれを、彼女の成長ととるだけでは不充分だろう。彼女は友人との関わりの向こうに別の世界に生きることを夢見ており、そこには思いのかなえられ難さをもどこかに含んでいるように思う。